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ローリー (ノースカロライナ州) : ミニ英和和英辞書
ローリー (ノースカロライナ州)[す, しゅう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ローリー (ノースカロライナ州) : ウィキペディア日本語版
ローリー (ノースカロライナ州)[す, しゅう]


ローリーRaleigh )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州中央部に位置する都市。同州の州都であり、ウェイク郡郡庁所在地である。また、北はニュージャージー州から南はアラバマ州まで、ピードモント台地の東縁に連なる滝線都市の1つとしても知られている。人口は403,892人(2010年国勢調査)〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年.〕で、2000年の国勢調査時と比較して約46%増加しており、シャーロットに次ぐ州第2の都市となっている。ローリー市域のほとんどはウェイク郡内に属し、一部が西隣のダーラム郡にかかっている〔Raleigh Durham Annexation Agreement Lines . (PDFファイル)〕。ローリーの郊外には、西に隣接する発展著しい大型衛星都市ケーリーをはじめ、いくつかの衛星都市化した町村がひしめいている。
ローリーは近隣のダーラムチャペルヒルと共に、リサーチ・トライアングルと呼ばれる都市圏の中心都市として発展してきた。リサーチ・トライアングルの名は、1959年にこの地域に設置されたリサーチ・トライアングル・パークに由来している。また、この「トライアングル」という名はローリーのノースカロライナ州立大学、ダーラムのデューク大学、およびチャペルヒルのノースカロライナ大学の3つの大学に由来している。正式には、リサーチ・トライアングルはこの3都市の名を冠して、ローリー・ダーラム・チャペルヒル広域都市圏という。ローリー都市圏とダーラム・チャペルヒル都市圏の2つを抱え、11郡にまたがるこの広域都市圏は1,912,729人の人口を抱えている。また、そのうちの3郡を占めるローリー都市圏だけでも1,130,490人の人口を抱えている(いずれも2010年国勢調査)〔。
また、ローリーにはオークの木が多数立つことから、「オークの街」(''City of Oaks'')と呼ばれている。
なお、市名は日本語では「ローリー」と表記されるが、現地の発音では「ラリー」に近い。本項目においては、日本語における慣用表記に従い、「ローリー」という表記を用いる。
== 歴史 ==

=== 創設期 ===
1770年12月、ジョエル・レーンがノースカロライナ州議会に提出した嘆願書が通り、この地にウェイク郡が創設された。ウェイク郡域はカンバーランドオレンジジョンストンの各郡からそれぞれ一部が取られての再編によって形成された。郡名は当時の州知事ウィリアム・タイロンの妻、マーガレット・ウェイク・タイロンからつけられた。最初の郡庁はブルームズバリーに置かれた。

ローリーが州都に選ばれたのはその18年後、1788年のことであった。公式には、ローリーが新しい州都、およびウェイク郡の新しい郡庁所在地として創設されたのは1792年であった。市名はロアノーク島に最初のイングランド植民地を築いたウォルター・ローリーからつけられた。この地に市が建設された理由の1つには、州議会議員がよく集まった酒場、アイザック・ハンターズ・タバンから10マイル(約16km)の範囲内にあったことがあったと考えられている。この地には既に創設されていた都市や町などは無かった。ローリーは全米でも数少ない、創設当初から州都として建設された都市の1つである。最初の市境はダウンタウンの東・西・南・北を走る通りで形成されていた。市内の通りは碁盤の目のように区画され、4つの公園と1つの中央広場が設けられた〔Bishir, Catherine, et al. North Carolina Architecture . p.73. UNC Press. 2005年.〕。1794年12月には、ローリーで初めてノースカロライナ州議会が開かれた。ローリーは正式な市となり、7人の議員からなる市議会と、警察行政長官が置かれた。警察行政長官は1799年に市長の管理下に置かれ、市議会は1803年以降は市から選出されるようになった。1799年には、ローリーで初の新聞となった、ノースカロライナ・ミネルバ・アンド・ローリー・アドバタイザー(N.C. Minerva and Raleigh Advertiser)紙が発刊された〔City of Raleigh Years (1587 - 1844) . City of Raleigh.〕。
19世紀に入ると、やや遅れたもののインフラの整備が進められた。1818年には上下水道が引かれ、1819年には有志による消防団が結成された。1821年には全日勤務の消防局が設置された。1840年にはウィルミントン・アンド・ローリー鉄道、およびローリー・アンド・ガストン鉄道の2本の鉄道が開通した。
また、この1840年には、1831年に焼失し、その2年後、1833年に再建が始まった州会議事堂が完成した。現在残っている庁舎はこの年に再建されたものである。1853年には、ローリー近郊で最初のステート・フェアが開かれた。1858年には、ローリーで最初の高等教育機関となるピース女子大学が設立された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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